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東京地方裁判所 昭和28年(ワ)4928号 判決

原告 丸紅飯田株式会社

被告 味の素株式会社

主文

本訴請求中、原被告間に昭和二六年三月七日原告を売主、被告を買主として左記の内容を有する売買契約が成立し、みぎ契約はその後解除されたとの原告の主張は理由がある。

(一)  品名 北米産黄色大豆標準二等品。

(二)  数量 九〇〇〇英トン。ただし一〇パーセント増減許容のこと。

(三)  包装 ばら積み。

(四)  価格 一キロトン当り米貨一六一ドル五〇セントを基準とし、その邦貨換算額にその〇・六パーセント相当額、保険料、信用状開設手数料、同保証金、為替予約料およびユーザンス金利等を加えた金額。

(五)  船積期限 昭和二六年八月三一日。

(六)  受渡方法 川崎市被告工場岸壁渡し。ただし麻袋代金は被告の負担。看貫一割試貫。看貫料原告負担。

(七)  代金支払方法 本船入港日起算六〇日後払手形による。

(八)  特約 被告が期日までに契約品を受取らないときは、原告は直ちに本契約を解除し得る。この場合契約解除により生じた損害は一切被告が負担する。

事実

第一、原告訴訟代理人は

(一)  被告は原告に対し金一億五六八〇万三九六二円三一銭及びこれに対する昭和二八年六月二八日以降完済に至るまで年六分の割合による金員の支払をせよ。

(二)  訴訟費用は被告の負担とする。

との判決及び仮執行の宣言を求める旨申し立て、その請求の原因として次のとおり陳述した。

一、原告は輸出入貿易及び国内商取引を主な目的とする株式会社であり、もと丸紅株式会社と称したが、昭和三〇年九月一日商号を現在の商号に変更した。被告は製油及び調味料等の製造販売業を主な目的とする株式会社である。

二、被告会社企画課員秋野享三は、被告の代理人として原告会社油脂課員であり原告の代理人である春名和雄に対し、昭和二六年三月六日、原告の取引先である米国商社コンチネンタルグレイン社から同年七、八月積米国産大豆九〇〇〇英トンを一キロトン当り単価一六一ドル五〇セント、その他の取引条件はすべて従前の原被告間の売買契約及び商慣習の例によつて買い付けて欲しい旨の口頭による確定買申込をした。みぎ春名和雄は翌七日みぎ秋野享三に対しみぎの申込を口頭で承諾し、こゝに原被告間に次の内容の売買契約が成立した。

(一) 品名 北米産黄色大豆標準二等品。

(二) 数量 九〇〇〇英トン。但し一〇パーセント増減許容のこと。

(三)  包装 ばら積み。

(四)  価格 一キロトン当り六万一六一一円六九銭。

(五)  船積期限 昭和二六年八月三一日。

(六)  受渡方法 川崎市被告工場岸壁渡し。麻袋代金被告負担。看貫一割試貫原告負担。

(七)  諸雑費の負担 保険料、信用状開設手数料、保証金、為替予約料、ユーザンス金利等全部被告負担。

(八)  代金支払方法 本船入港日起算六〇日後払手形による。

(九)  附款 (1)  被告が期日までに契約品を受取らないときは、原告は直ちに本契約を解除し得る。解除により生じた損害は一切被告が負担する。

(2)  本契約は、原告が大豆の輸入承認証を得て信用状を開設したときに効力を生ずる。

三、原告は直ちにみぎの契約に基き大豆の輸入承認申請手続をとつたが、同年三月一〇日正午限り輸入承認申請の受付が停止されたため、正規の手続により信用状を開設することが不可能となつた。そこで前記秋野の承諾を得て、他社が取得した輸入承認証を利用して本件契約による大豆を輸入することとし、訴外明光商事株式会社及び同都商事株式会社と交渉した結果、みぎ両社の名においてみぎ両社が取得した大豆の輸入承認に基き原告のために本件契約に必要な信用状を開設することとし、みぎの交渉経過についても前記秋野の了解を得たので、明光商事は同年四月三日一一三万四〇〇〇ドルの信用状を開設し、都商事は同年五月一日五二万八〇〇〇ドルの信用状を開設し、前者は株式会社東京銀行本店を通じ、後者は同銀行新橋支店を通じ、いずれも即日原告に通知されたので、原告はそのつど即時被告代理人秋野享三に伝達した。

したがつて、本件契約は同年五月一日効力を生じた。

四、原告は前記コンチネンタル・グレイン社との間に本件契約の成立と同時に北米産黄色大豆標準二等品九〇〇〇英トンを七、八月積の約で買い受ける契約を結んだ。同社は原告に対し同年七月一六日みぎ契約品をワンダラー号に船積した旨通知したので、原告は被告に対し直ちにみぎの旨を口頭で報告した。しかし、その頃被告は既に原告に対し本件契約の成立を否定し、本件契約の目的物を引取る意思のないことを明らかにしたので、原告代理人春名は同年七月下旬頃被告代理人秋野に対し、被告がみぎ目的物を引取らないことを条件として前記特約に基き本件契約を解除する旨の意思表示をした。ところが被告は、前記ワンダラー号が横浜港に入港した同年八月二七日、原告から入港通知および引取方の催告を受けたのに対し、その引取を拒絶した。よつて本件契約は同日限り解除されたのである。

五、そこで原告はやむを得ず本件大豆を他に転売したが、転売の結果、被告の契約不履行により総計金一億五六八〇万三九六二円三一銭の損害を受けた。よつて、被告に対しその賠償を求める。

六、被告の主張に対しては次のとおり反ばくする。

(1) 被告は、当時貿易上の慣習としてフアームビツドは必らず書面によることとなつていた旨主張するが、かゝる事実は否認する。また被告の主張するように国内取引においても書面による申込に基くのでなければ契約は成立しないということもない。現に原告は特に国内取引においては口頭契約により幾多の取引を行つていた。

被告がその主張する申込書を使用していた事実は否認する。

(2) 被告は、大豆の大量取引においては契約は契約書の交換によつて始めて成立するとの商慣習がある旨主張するが、このような慣習も慣行も存しない。契約書の交換は多くの場合契約の確認のためになされるのである。原告は本件取引につき昭和二六年五月一日付契約書を用意し、これに原告会社の押印をした上、これを翌二日被告に対し押印を求めるため計算書を添付して交付したが、みぎは五月一日付で契約が成立することを期したものではなく、被告に対し既に成立した契約に対する文書による確認を求めたものにほかならない。

(3) 被告は六億円の取引において単なる一社員にすぎない秋野享三が上司の決裁を経ずに契約を締結するいわれがないと主張するが、一流会社においてはたとえ数値円の取引についても一社員が窓口となつて契約を結ぶことは普通のことであり、被告会社においても本件取引に先行した原告との二件の大豆の取引および他の商社との大豆の取引においてはいずれも一社員たる秋野享三および和田五郎が契約締結の衝に当つたのである。

(4) 被告は原告を含む我が国の貿易業者が昭和二六年当初において大豆の思惑輸入を行つたと主張するが、貿易業界においては一般に「右左の原則」が守られ、特に大量取引においては、国内の実需家の注文によりその指定する数量と価格に基いて外国商社と商談をまとめ、国内注文者に対しては輸入価額に手数料を加えた価格で売却し、もつて危険負担を最小限にとどめるようにすることが理想とされている。まして当時原告会社は資本金が少なく、大豆二船分を自己資金で思惑輸入する余裕は全くなかつた。本件契約に先行した原被告間の二回の大豆取引もつぎのような経過で行われたものであつて、決して原告が思惑輸入したものを被告に売りつないだものではない。

すなわち、原告会社社員田中利道は昭和二六年一月一九日被告会社事務所において前記秋野享三から口頭で大豆二級品六〇〇〇トン単価一キロトン当りC&F一五八ドル二五セント船積期限同年三月三一日包装ばら積の条件で買申込を受けたので、オリエンタル・エキスポータース社東京営業所に出向いていた原告会社社員山口春二に対し直ちに電話でみぎの旨を連絡し、山口春二はみぎ外商と原告との間に被告申出の条件に基く大豆輸入契約を締結して直ちにその旨を田中利道に電話連絡し、同人は秋野に対し口頭で承諾の意思表示をなし、こゝに原被告間に第一回の大豆売買契約が成立した。ついで同年一月三〇日みぎ同様の方法により数量九〇〇〇トン単価C&F一六〇ドル船積期限同年五月三一日その他の条件は前回に同じとする契約が成立したが、みぎ第二回分の契約数量は後に合意の上八〇〇〇トンに変更した。そしてみぎ各契約の成立後、被告は契約大豆の工場岸壁到着後倉入れまでの手続の代行を申し入れて来たので、原告はこれに応じ、原被告間の取引の最終価格は前記基本価格に倉入れに要する諸費用、保険料、銀行諸掛りおよび原告の手数料を加算して決定することとし、以後これら諸費用の決定に折衝を重ねた末合意が成立し、これらの合意の内容を同年二月二〇日それぞれの売買契約書に記載して被告に提出し、被告は同年三月六日これらに調印を終えて、こゝにみぎ各売買契約の成立が原被告間に確認されたのである。

被告との第一回契約分大豆が他社との契約分と同一船舶で輸送されたのは、輸送船腹の都合上、原告がこれらの国内契約分をまとめて外商に発注したことによるのであつて、原告が先ず思惑輸入したものの一部を被告に売りつないだものではない。

(5) 被告は、昭和二六年三月当時には、同年上半期において使用する原料大豆を既に手当済みであつたと主張するが、同年三月頃には官民ともに第三次世界大戦の始まるおそれのあることを真剣に心配していたので、メーカーはこれに備えて大量の大豆を確保すべく、その入手方法の発見に狂奔していた。しかも被告会社は、その大豆消費能力が当時既に約九〇〇〇トンに達していたので、年頭に樹立した操業計画をみぎの非常事態に適応するために廃案とし、毎月一船分宛の大豆を確保する方針に切り替えたものである。

(6) 原被告間の第一、二回取引が「キロトン」単位でなされた事実は争わないが、本件取引においては、数量は「英トン」単位で、価格は「キロトン」単位で、それぞれ締結されたのである。およそ輸入貿易において、船積みはすべて「英トン」で計算するのが慣例であり、輸入貨物を国内で取引するときは、価格を「キロトン」単位で計算するのが常識である。原告は、被告が本件契約に基く大豆の引取に難色を示し始めてから、被告会社の内部事情をも考慮し、少しでも被告の負担を軽減するために、九〇〇〇「キロトン」の大豆の引取を交渉したことはあるが、それは本件契約数量を表示したものではない。

(7) 被告は、輸入を前提とする国内取引においては、輸入が適法な手続でなされ得ないときは契約が消滅することが要件となるから、本件契約も、原告の輸入許可申請が却下されたことによつて消滅した、と主張する。しかし、原告が他の業者の取得した輸入許可証を利用して本件契約を履行すべきことは、むしろ被告の示唆したところであり、被告はかゝる方法によつてでも大豆を確保することを希望し、原告がみぎの方法を履践することに対し激励と声援を与えたからこそ、原告は敢てかゝる方法を講じたのである。したがつて、被告は自ら本件契約の無効を主張することができない。のみならず、本件契約の目的は原告が約旨に従い大豆を被告に引渡すことにあるのであるから。原告の大豆輸入が自社取得の輸入外貨によると他社のそれによるとによつて、被告の契約上の利益には何らの差異もない。

(8) 被告主張の昭和二六年七月二五日付の覚書は、被告が原告の提出した契約書(前記のとおり、本件契約の成立を相互に確認するためのものである)に署名押印しないので、原告会社の春名和雄が被告会社に対し何らかの形式で本件契約の確認を求めるため、覚書の文案を示して提出を求めたところ、被告会社が新たに原告から買い受ける如くにその内容を変更して記載した上原告に提示したものであつて、原告は当然これを不満として被告に対しその主張する「対案」を示したものである。

(9) 被告は、原告が被告に対し船積案内も入港予定日の通知もしなかつたと主張するが、原告は被告に対し本件契約の確認および目的物件の引取方を要求し続け、その都度口頭で船積案内および入港日時の通知をしたし、船積案内は書面をもつても行なつた。しかも、被告は根本から本件契約の成立を否認するに至つたので、仮に原告が船積案内、入港予定日の通知および着荷通知をしなかつたとしても、被告がこれを理由として本件契約の解除の効果を争うのは信義誠実の原則に反する。

第二、被告訴訟代理人は「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め、請求の原因に対する答弁として、つぎのとおり陳述した。

一(1)  請求原因一、の事実は認める。

(2)  同二、の事実中、秋野享三が被告会社の企画課に勤務している事実および春名和雄が原告会社社員である事実は認めるが、その余の事実は否認する。

(3)  同三、の事実中、輸入承認申請受付停止の事実は認めるが、原告主張の信用状開設に至る経過の事実は知らない。その余の事実は否認する。

(4)  同四、の事実中、被告が原告主張の契約の成立を否定した事実は認めるが、原告と外商との契約の事実および外商から原告に対し船積通知がなされた事実は知らない。その余の事実は否認する。

(5)  同五、の事実中、転売の事実は知らない。その余の事実は否認する。

二  原告は、原告主張の大豆売買契約が、被告の買申込に対する原告の承諾により成立したと主張するが、当時貿易上の慣習として、買申込は必らず書面によるフアーム・ビツドすなわち期限付取消不能確定買申込の方法によることとなつていたから、貿易を前提とする国内取引においても、これと同様買申込は書面によることが必要であつた。現に被告も一定の書式による買申込書を用意し、これを用いて買申込を行つていた。しかるに原告の主張する契約はかゝる方式を履んでいないから、原告主張の契約が成立していないことはこの点においてすでに明らかである。

三  また、大豆の大量取引においては、前記の方式によらない以上、契約は契約書の交換により始めて成立することが商慣習となつており、原被告間においても、六〇〇〇トンおよび八〇〇〇トンの取引が、いずれも昭和二六年三月六日被告が契約書に調印したことにより成立した。原告主張の本件契約なるものは、原告がその主張する内容を記載した契約書案に見積書を添えて同年五月上旬頃これを被告に交付し、もつて被告に対し大豆の売申込をなしたが、被告はこれに応ぜず、調印をしなかつた。したがつて、原告主張の契約は成立していない。

四  原告主張の契約が成立していないことは、つぎの諸事実によつても明らかである。

(1)  昭和二五年六月に朝鮮事変が始まつてから世界的に品薄の現象が起り、特に我が国における大豆は、その絶対量の不足から貿易業者がこぞつて輸入ルートの獲得に奔走し、しかも盲目貿易と北米産大豆の積出難とが、大豆の輸入価格の高騰に拍車を加え、取引量の多いことが国内商社の興味をそそつて、昭和二六年に入つてからは大豆の思惑輸入は極めて盛んになり、同年二月二〇日自動承認制(AA制)のもとに大豆の民間貿易が認められてからは、国内商社は在日外国商社に殺到し、その結果遂に同年三月一〇日をもつてAA制による輸入承認申請の受付が停止されるに至つた。

かゝる情勢の下において、原告は同年一月中に大豆二船分を外商から思惑輸入した。輸入単価は一船分がCIF一六三ドル二五セント、他の一船分はCIF一六三ドル五〇セントであつた。原告は被告に対し一船分のうち六〇〇〇トンを単価一五八ドル二五セントで売渡し、他の一船分のうち八〇〇〇トンを単価一六〇ドルで売渡し、残余を他の需要者に売却したが、少なくとも被告に売渡した分については、思惑輸入に失敗したのであつた。原告が本訴において被告に売渡契約をしたと主張する大豆も、仮に原告がその主張するとおり米国商社から買受けたものとみれば、それは明らかにみぎ同様原告が自己の計算と責任とにおいて思惑輸入をしたものである。

(2)  原被告間の前記の二回の契約締結の後においても、原告は被告に対し大豆の引合をした。しかし、被告は当時同年上半期中に消費すべき予定の原料大豆を既に十分手当済みであつたし、また当時大豆は輸入過剰の状態であつたから、同年下半期分の大豆の手当をしておく必要がなかつた。ために被告は原告からの引合に応じなかつたのである。

(3)  原被告間において締結された前記の二契約においては、取引数量も単価も「キロトン」が単位となつている。しかるに本件契約のみにおいて取引数量が「英トン」単位でとりきめられる筈がない。

(4)  被告会社は一介の社員たる秋野享三に対し原告との大豆売買契約につき代理権を与えたことがない。また原告の主張するような大豆九〇〇〇英トン六億円余の取引につき、同人が上司の決裁を経ることなく契約を締結する権限を有する筈もない。

(5)  原告の主張によれば、原被告間の大豆売買契約は昭和二六年三月七日成立したが、同年三月一〇日輸入の自動承認制の停止により原告の輸入申請は却下された、というのである。元来輸入を前提とする国内取引においては、常に輸入が適法な手続でなされ得ないときは契約が消滅すべきことが当然の要件となるものであるから、仮に原告主張のような契約が成立したとしても、みぎの輸入許可申請の却下により、みぎの契約は消滅したというべきである。原告が、その後原告主張のように他人が得た輸入許可を流用して輸入手続を進めたとしても、それは脱法行為であり、一種の闇取引にほかならないのみならず、被告との大豆売買契約がみぎの理由で消滅したことを承知しながら敢て自己の思惑と責任においてあらためてなした別個の輸入手続というべく、その結果につき被告が責任を負う筋合のものでないことは明らかである。

(6)  原告は被告に対し昭和二六年五月上旬頃に至り日付の記入のない大豆売買契約書案を提示し、もつて大豆売却の申込をなした。したがつて、それまでは契約が成立していなかつたことが明らかである。

(7)  更に同年七月二八日に至り、原告の申入に基き原被告間に同月二五日付で覚書が作成された。その内容は、原告が輸入した米国産大豆については市場の実情に徴し数量、価格、代金支払条件を原被告間で協議し、協議が整つたときに始めて被告が買受けることとする、というものであつた。原告はみぎの覚書に基き被告に対し協議の試案を提示したが、遂に成約をみるに至らなかつた。これらの事実によつても、原告主張の契約は成立していないことが明らかである。

(8)  一般に海外に所在する商品を取引する場合には、売主は買主に対し目的物の船積と同時に船積案内を発し、また目的物を積載した船舶が目的港に入港する四八時間前迄に入港日時を通知し、もつて買主に対し目的物の引取の準備を促すのが取引の慣行である。しかるに原告は被告に対し本件大豆の船積案内も船名の通知も入港日時の通知もしなかつた。この事実もまた原告主張の契約が成立していなかつたことの証左である。

(9)  原告は本件大豆が同年八月二七日着荷したと主張するが、被告に対してその旨を通知しないのみならず、その翌日には着荷大豆を他に売却し始めている。

五  仮に原告の主張する契約が成立したとしても、前記のように原告は被告に対し船積案内も入港の通知もなさなかつたから、被告に対し適法な履行の提供をしなかつたものであり、また被告に対し期間を定めた催告をも行つていない。まして被告は原告から原告主張の契約を解除する旨の意思表示を受けたことがないのであるから、被告は原告に対し契約の履行に代る損害賠償をなすべき義務を負わないものである。

第三、証拠として、

一、原告訴訟代理人は甲第一号証の一、二、第二号証、第三号証の一、二、第四ないし六号証、第七号証の一、二、第八号証の一ないし六、第九、一〇号証、第一一、一二号証の各一、二、第一三ないし一六号証、第一七号証の一ないし三、第一八ないし二三号証、第二回、二五号証の各一、二、第二六号証、第二七号証の一、二、第二八ないし六一号証、第六二号証の一ないし四、第六三、六五号証、第六四、六六号証の各一、二、第六七ないし七〇号証、第七一号証の一ないし三、第七二号証の一、二、第七三号証の一の(イ)(ロ)、同号証の二、第七四号証の一の(イ)(ロ)、同号証の二の(イ)(ロ)の各ABC、第七五号証、第七六号証の一、二、第七七号証、第七八号証の一ないし三、第七九ないし八六号証を提出し、証人春名和雄(第一、二、三回)、同高橋睿、同岡野文夫(第一、二回)、同足立徹、同田中利道(第一、二回)、同影山衛司、同宮下健二、同平野清、同片桐英雄、同香川卓一、同岩間造酒之介、同檜山広(第一、二回)、同太田静男、同松本秀三志、同島崎竜雄、同安井泰一郎、同森長英および同山口春二の各証言を援用し、乙第一四、一五、一七号証、第一八号証の一、二、第一九号証の二、第三一号証の二および第三四号証の二、三の各成立は不知、第一九号証の一、第二〇ないし三〇号証(第二二、第二七号証は各一、二)、第三一、三四号証の各一、第三二、三三号証の各原本の存在および成立を認め、その余の乙号証はいずれも成立を認めて乙第一、二号証、第三号証の一の(イ)、(ロ)、同号証の二、三、第四号証の一、二、第五号証、第六号証の一ないし五、第一〇ないし第一二号証、第一三号証の一の(イ)(ロ)、同号証の二および第一六号証を各援用する、と述べた。

二、被告訴訟代理人は乙第一、二号証、第三号証の一の(イ)(ロ)、同号証の二、三、第四号証の一、二、第五号証、第六号証の一ないし五、第七号証の一、二、第八号証の一ないし三、第九号証の一ないし四、第一〇ないし一二号証、第一三号証の一の(イ)(ロ)、同号証の二、第一四ないし一七号証、第一八、一九、二二、二七、三一号証の各一、二、第二〇、二一号証、第二三ないし二六号証、第二八ないし三〇号証、第三二、三三号証および第三四号証の一ないし三を提出し、証人秋野享三(第一、二回)、同和田五郎(第一、二回)、同佐伯武雄、同鈴木恭二(第一、二回)、同福井孝雄、同西川嘉一(第一、二回)、同稲脇修一郎、同越智度男、同大平房次、同上坂酉三および同山田洋の各証言を援用し、甲第三号証の一、二、第四号証、第二四号証の一、二、第六六号証の一、二、第六七ないし六九号証、第七一号証の一ないし三、第七三号証の一の(イ)(ロ)、同号証の二、第七四号証の一の(イ)(ロ)、同号証の二の(イ)のA、B、C、第七八号証の一ないし三、第七九ないし八三号証、第八五、八六号証の各成立を認め、第五九ないし六一号証の各原本の存在および成立を認め、第七四号証の(ロ)のAの確定日附の成立を認めその余の部分の成立は不知、第七五号証中和田五郎の署名の成立のみ認めその余の部分の成立は不知、その余の甲号証の成立はいずれも不知、と述べた。

理由

一、原告は、その主張する被告との大豆売買契約が、被告の口頭による承諾期間附きの買申込(フアーム・ビツト)に対する口頭の承諾によつて成立したと主張するのに対し、被告は、フアーム・ビツトは必ず書面をもつてすることを要すると主張するので、先ずこの点について判断する。

原本の存在および成立につき争いのない乙第二二号証の二(証人和田五郎証言調書)の記載および証人秋野享三(第一回)、同鈴木恭二(第一、二回)の各証言中には、フアーム・ビツトは必ず書面によつて発することが慣習となつている旨の供述部分があるが、これらの証拠は、いずれも後記の各証拠に比してたやすく措信し難い。もつとも、原本の存在および成立につき争いのない乙第二三号証(証人黒川正雄証言調書)の記載ならびに証人高橋睿、同足立徹、同西川嘉一(第一回)および同稲脇修一郎の各証言によれば、旧三菱商事およびその系列に属する各商事会社は、フアーム・ビツトを発し、またはこれを受ける際には、口頭でなされた場合には必ず確認書を交換し、もつて後日の紛争の予防をはかつている事実を認め得るが、これらの証拠をもつてしても、契約の申込は必ず書面によるという慣習の存在を認定する資料とはなし得ない。かえつて、証人香川卓一、同岩間造酒之介、同太田静男、同松本秀三志および同田中利道(第一回)の各証言によれば、国内取引であると対外取引であるとを問わず、現実に口頭によるフアーム・ビツトが発せられ、かつ、これに基く取引が行われており、原告会社も国内取引においては一般に書面によらない買申込を受けて商取引を行つている事実を認めることができる。証人鈴木恭二(第二回)は、被告会社はフアーム・ビツトの書式を印刷した用紙(乙第一五号証)を用意し、フアーム・ビツドを発するときは必ずこの用紙に必要事項を記入して相手方に渡している旨証言するが、みぎ乙第一五号証には買申込の品目を米国産大豆と印刷してあるにもかかわらず、被告がかつてみぎの用紙を使用して大豆の買付をした事実を認める証拠は他に全く存しないので、みぎの証言はたやすく措信し難い。また、成立に争いのない乙第一六号証(津田昇著「貿易商談のすすめ方」)も、口頭による申込は後日紛争が生じた場合に立証が困難であるから、実務上極力これを避けるべきであると説くのみであつて、申込を書面で行うことが商慣習となつている旨の記載は存せず、かえつてみぎの記載は現実に口頭による申込が行われていることを暗に示しているものということができる。結局、商法第五〇七条および民法第五二一条の解釈上、承諾期間を定めた契約の申込は口頭でもなし得ることが当然のことであるところ、わが国の取引界において、みぎの解釈上の原則の適用を排除し、商取引について承諾期間附申込は必ず書面によつてこれをなすべきものとする商慣習の存在は、これを認め難いといわなければならない。

二、つぎに、被告は、本邦における大豆の大取引にあつては契約は契約書の交換がなされない限り、成立したものと認めない商慣習が存するにもかかわらず、原告の主張する契約なるものについては、未だ契約書が交換されたことがないから、契約の成立を前提とする原告の請求は失当であると主張する。

そこで証拠について検討すると、前記乙第二二号証の二ならびに原本の存在および成立につき争いのない乙第一九号証の一(証人西川嘉一証言調書)、第二七号証の二(証人鈴木恭二証言調書)の各記載と証人秋野享三(第一回)、同佐伯武雄、同鈴木恭二(第一回)、同平野清、同稲脇修一郎、同大平房次、同高橋睿の各証言中には、大口の取引においては契約は必ず書面によつて締結されている旨の供述部分が存するが、これらの証拠は、つぎの各証拠に比するときは措信し難い。すなわち、成立に争いのない甲第七八号証の一(日本経済新聞)、原本の存在および成立につき争いのない甲第六六号証の一、二(証人近藤一雄証言調書)、第六七号証(証人岡島康雄証言調書)、第六八号証(証人杉山金太郎証言調書)、乙第二三号証(証人黒川正雄証言調書)、第二五号証(証人片桐英雄証言調書)の各記載ならびに証人春名和雄(第一、二回)、同田中利道(第一、二回)、同片桐英雄、同香川卓一、同檜山広、同伊藤廉三、、同太田静男、同松本秀三志、同島崎竜雄、同森長英および同岩間造酒之介の各証言によれば、わが国の取引界においては、大口の取引についても相当多数の取引が口頭による契約に基いて支障なく行われており、ただ、通常契約内容を表示したなんらかの形の文書が契約当事者間で交換されることが多いが、それも契約の成立をかゝる文書の交換にかゝらしめているというよりは、むしろ契約の内容を当事者間で確認し、後日の紛争を予防する目的のもとになされるものであり、大豆、綿布、羊毛その他商品の性質および需給の状態により相場の変動が大きく業者間の競争が激しいものについては、一刻を争う意味からも、むしろ契約を書面に表示しないまま成約させる例が多く、特に一定の業者間に取引が継続して行われる場合、および商品の委託買付の場合において、当事者間の合意の内容が定型化され単純化されているときには、契約の申込も承諾も口頭で行われることがしばしばある、という事実を認めることができる。

したがつて、被告のみぎの主張もまた理由がない。

三、そこで、原被告間に果して原告の主張するような契約が締結されたか否かについて判断する。ところで、原告主張の成約の事実を直接証すべき証拠としては、僅かに証人春名和雄、(第一、二、三回)および同田中利道(第一、二回)の証言が存するのみであつて、しかも、これらの証言の内容には明確を欠く部分があり、原告主張の成約の事実を真正面から否定する証人秋野享三(第一、二回)の証言と対比するときは、いずれの証言が措信し得べきかについては多大の検討を要する。そこで、以下昭和二六年三月七日の前後にわたる原被告間の交渉、各当事者の内部事情および大豆取引界の一般情勢を中心として、逐一検討することとする。

前記甲第六六号証の一、二、第六八号証、乙第一九号証の一、第二二号証の二、第二七号証の二、成立に争いのない甲第三号証の一(大豆売買契約書)、第四号証(売買契約書)、第二四号証の一(覚書)第六九号証(商社の手持油糧一覧表)、第七三、七四号証の各一の(イ)(英文契約書)、乙第二号証(味の素KKS/Sワンダラー号積大豆処理要領)、乙第六号証の一(売買契約書正本)、二(同副本)、三(同写)、第七号証の一、二(印刷物)、第一〇号証(大豆採算表)、第一二号証(書簡)、第一三号証の一の(イ)(ロ)および二(各英文送り状)、原本の存在および成立につき争いのない甲第七九号証(証人安井泰一郎証言調書)、乙第二〇号征(証人福井孝雄証言調書)、第二八号証(被告代表者道面豊信本人尋問調書)、第二九号証(証人大平房次証言調書)、第三〇号証(証人西尾定蔵証言調書)、第三一号証の一(証人田村千男証言調書)第三二号証(証人伊庭野健治証言調書)、第三三号証(証人普川茂保証言調書)、証人高橋睿の証言により成立を認める甲第七号証の一(覚書)、証人田中利道(第一回)の証言により成立を認める甲第一五号証(念書)、証人宮下健二の証言により成立を認める甲第二六号証(回答書)、証人安井泰一郎の証言により成立を認める甲第六四号証の一(金融に関する報告書提出依頼の件)、二(同上別紙)、および甲第七〇号証(メモ)、証人福井孝雄の証言により原本の存在および成立を認める乙第一四号証(写真)、証人鈴木恭二(第二回)の証言により成立を認める乙第一七号証(被告会社の生産操業目標)の各記載に証人春名和雄(第一、二、三回)、同高橋睿、同岡野文夫(第一、二回)、同足立徹、同田中利道、同影山衛司、同宮下健二、同平野清、同片桐英雄、同香川卓一、同檜山広(第一、二回)、同島崎竜雄、同安井泰一郎、同森長英、同山口春二、同秋野享三(第一、二回)、同和田五郎(第一回)、同佐伯武雄、同鈴木恭二(第一、二回)、同福井孝雄、同西川嘉一(第一回)、同越智度男、同大平房次の各証言(以上後記各措信しない部分を除く)ならびに弁論の全趣旨を総合すると、つぎの事実を認めることができる。

(一)  原被告間の取引開始の事情について。

終戦後、わが国における大豆の需給関係は絶対的な供給不足の状態にあり、主として満洲大豆の輸入およびガリオア資金による米国産大豆の供給により辛うじて不足分をまかなつていたが、昭和二五年に朝鮮事変が始まつてからは、満洲大豆の輸入ができなくなつたのみならず、朝鮮事変が長期大戦化の様相を帯びて来るにしたがつて、欧米諸国が油脂原料の備蓄のための買付を開始し、たみに大豆は世界的な供給不足の状態となり、同年七月から昭和二六年六月までの一年間のガリオア資金による対本邦大豆供給量として決定されていた八万トンの米国産大豆は、昭和二五年中には一トンも輸入されなかつた。そして大豆の価格は同年秋頃から世界的に騰貴し、国内の相場も次第に緊張し、関係業者の大豆輸入に対する関心が高まつて来た折から、政府は中共産大豆の香港経由の輸入ルートを拓くため、大豆を原料として使用する業者に対し香港大豆の輸入のためにポンド貨の割当を行つた。被告会社は同年夏頃までは外国産大豆はすべてガリオア資金に基く供給に頼つていたが、みぎの情勢下にあつて、原料大豆の不足を補うため、当時中共産商品の対日輸出ルートを保持していた外国商社ジヤーデイン・マジスンと取引関係を有した原告に対し、香港大豆の買付のための委任状を、交付し、価格および数量を指示して香港大豆の買付を委託したが、被告の委託を受けて原告の発した何度かの買申込に対しみぎ外商が承諾をしなかつたため、香港大豆の輸入は失敗し、同年暮中共が朝鮮事変に介入するに及んで、みぎの企図は完全に挫折するに至つた。みぎの買付委託において、被告会社からは業務部企画課員秋野享三が主として交渉に当り、原告会社からは神戸支店食糧部油脂課課長心得兼丸の内支店輸入部油脂課課長心得春名和雄、丸の内支店輸入部油脂課員田中利道および山口春二が衝に当つたものである。

ところで、以上のような情勢の変化に加えて、国内における大豆の在庫が減少したので、大豆の需要者は国内商社に対し頻繁に大豆の買付依頼や引合を試み、国内商社は米国産大豆の輸入方法の発見に熱中する至つたが、原告も、被告の要求に応じようと米国産大豆の輸入路の発見に努力を重ねたのであつた。

(二)  原被告間の第一、二回取引について。

昭和二五年中における前記の大豆事情は、昭和二六年に入つても変らないのみか、大豆の在庫はほとんど底をつき、朝鮮事変の長期化に備えて油脂原料の備蓄をはかる必要も生じて来たため、政府はガリオア資金による米国産大豆の供給の促進を米国政府に申し入れたが、同年一月にようやく前記八万トン中の一万トンが到着したのみで、その余の供給を受ける目途は全く立たない状態であつたので、政府はようやく民間貿易により大豆を輸入することを計画するに至つた。しかし、当時は米国大豆に対して欧洲その他から買付が殺到し、毎日高値を更新していた上に、米国において軍需輸送のため民間物資の輸送制限がなされる予想が流布されて現物入手の困難も予見された関係から、即時民間貿易を実施するときは日本の各商社から莫大な量の注文が殺到してますます大豆の価格をつり上げることが予想されたので、窓口を一本化して合理的な輸入をはかるため、臨時的措置として政府による米国産大豆の買付を考慮することになり、同年二月六日に至り、つぎの趣旨による買付計画を樹立した。

(1)  米国大豆の現在の特殊性を考慮し、例外的措置として、三月積三万トン、四月積三万トン、五月積四万トン、計一〇万トンに限り、政府買付を行う。

(2)  買付代理人として、三月積分は現在のガリオア大豆積取代理人を指定するが、四月積分は民間輸入開始以来の大豆民間輸入(非ドル地域からの)の実績等を考慮し、既指定のガリオア大豆積取代理人四社(原告は指定を受けたことがない)を除く一社を選定し、五月積分は民間輸入開始以来の大豆民間輸入実績等を考慮して一社を選定する。

(3)  本買付実施前に米国大豆の民間輸入開始を見越してなされた米国商社と日本商社との大豆売買契約のうち、著るしく有利なもので、かつ、破約が日本商社に損害を与えるものは、商社の要請に応じ政府が輸入の肩替りをすることができる。

(4)  本買付の実施時期は二月一〇日とし、最悪の場合も二月一五日とする。著しく実施のおくれるときは自動承認制による買付を強行する。

しかし、たまたま米国政府が物価統制令を施行し、大豆についても最高販売価格を統制するに至つたため、政府は大豆のこれ以上の値上りはないものと判断して、みぎの計画の実行をとりやめ、自動承認制(AA制)による米ドル地域との民間貿易を許容することにして、同年二月二二日からこれを施行するに至つた。

みぎの自動承認制の施行前においても、国内の大豆使用メーカーは、被告をも含めて、大豆の現物確保に懸命であつたし、また国内商社も、大豆は輸入さえできれば必らず国内で売捌けるとの見透しと、もし政府買付が行われるようになれば最も実績を有する商社が買付代理人に指定されることになるのみならず、買付代理人に指定されないまでも、輸入契約を締結したものは政府から買い上げを受け得ようとの期待から、競つて非ドル地域経由の米国大豆の輸入経路の発見開拓に努力し、かかる輸入経路を握つていた米国商社との間に完全な売手市場が成立し、いち早く米国商社と提携して輸入経路を獲得した国内商社のなかには、自己の計算において大量の思惑輸入を行い、相当な利益を得たものもあつた。かくて、国内取引においては、メーカーの買注文と商社の売込とが相交錯して行われていた。

かかる情勢のもとにおいて、原告はたまたま取引の拡大による社運の隆盛を企図し、社員は満足な帳簿の整備記帳を放置して内外取引先の拡張に努力を重ねていたが、そのためには、当時品薄と価格高騰のため新三品の一に数えられて取引界における流行児となつている大豆の大口取引先を開拓することが重要な任務とされたので、一方において大豆の輸入実績をつくるために外国商社であるオリエンタル・エクスボーターズ社およびコンチネンタル・グレイン社との連絡に成功し、既に昭和二六年一月一九日オリエンタル・エクスボーターズ社との間に三月積米国大豆九〇〇〇キロトンをートン当り横浜港渡しCアンドF単価一六三ドル二五セントで輸入契約を結び、同月三〇日には同社との間に更に五月積米国大豆九〇〇〇キロトンをカナダのモントリオール港積出日本港渡しCアンドF単価一六三ドル五〇セントで輸入契約を結んだ上、他方において輸入大豆を被告会社に売りつないで被告会社との継続取引の基礎を固めようとはかり、そのためには当座の損失を覚悟の上で熱心に交渉を重ねた結果、前記の田中利道と秋野享三との間に、同年一月下旬から二月上旬にかけて、前記単価一六三ドル二五セント三月積の輸入契約大豆のうち六〇〇〇キロトンを基準単価横浜港渡しCアンドF一五八ドル二五セントで、前記単価一六三ドル五〇セント五月積の分九〇〇〇トンを基準単価横浜港渡しCアンドエフ一六〇ドルで、いずれも口頭による契約を結ぶことに成功し、更に契約の細目について交渉が続けられた結果、先ずみぎ九〇〇〇トンの分につき数量を八〇〇〇トンに訂正した上、

(1)  品名 米国産大豆、米国標準規格二等品黄色。

(2)  数量 八〇〇〇トン(一〇パーセント増減許容のこと)

(3)  単価 六万一〇九八円三五銭トン当り実貫裸価格。

単価算出方法

(イ) 基準単価 CアンドF一六〇ドル。一ドル三六一円五五銭換算計五万七八四八円。

(ロ) 保険料  一七四円九九銭(FPA二〇銭。戦時保険七銭五厘。基準円価の一一〇パーセントの〇・〇〇二七五倍)

(ハ) 銀行金利一五七七円五〇銭(L/C開設手数料〇・二五パーセント。申請保証金〇・〇〇二七パーセント-一パーセント、日歩三厘、一パーセントの〇・〇〇〇三倍の九〇日分-。為替予約料およびユーザンス金利-年五分、日歩一銭三厘七毛、一八〇日分-二・四六六パーセント。計二・七一八七パーセント。)

(ニ) 欠減   (一パーセント)五八〇円二三銭。

(ホ) 本船はしけ取り工場河岸回漕沿岸水切、庫入、袋詰着貫渡諸掛(一割試貫)四三六円四〇銭。

(ハ) 手数料  (一パーセント)五八〇円二三銭

(ト) 備考、包装代金は含まない。

関税その他新設課税は実費申し受ける。

(4)  包装   ばら。

(5)  船積期限 昭和二六年五月三一日限。

(6)  受渡場所 被告会社横浜工場水切袋詰看貫率入渡(包装代金は買主負担)。

(7)  代金支払方法 本船到着日起算六〇日手形払。

(8)  摘要

(イ) 買主が期日までに契約品を引取らないときは、売主は契約を取消すことができる。これにより生じた損害は一切買主が負担する。

(ロ) 直接間接の不可抗力の原因による契約品の全部又は一部の引渡不能又は遅延については、売主はその責を負わない。

(ハ) 円平価の変動による値差は買主が負担する。

(ニ) 本契約後の関税その他課金の新設、増額および運賃保険料その他の諸費用の増額および戦争その他非常原因に基く特別費用は、買主が負担する。

との合意が成立し、同年二月二〇日付の契約書に被告会社が同年三月六日記名押印を完了し、次いで六〇〇〇トンの分につき円単価の算出方法中為替予約料の日数七五日、ユーザンス金利の日数一一五日、手数料〇・六パーセント、合計円単価六万〇三八一円八三銭とするほか、前記基本契約条項を除きみぎと同一条件の合意が成立し、その契約書に被告会社がみぎ同日記名押印を完了した。

なお、原告はみぎ三月積の残三〇〇〇トンを同年二月中旬頃訴外昭和産業株式会社に対し基準単価CアンドF一五九ドル余で売りつなぐことに成功した。そして、前記のように大豆の輸入方式を検討中であつた政府に対し、大豆九〇〇〇トンを単価一五八ドルで輸入契約を結んだ旨を報告した。

前記証人春名和雄(第一回)、同田中利道(第一回)、同山口春二、同岡野文夫(第一回)、同檜山広(第一回)、同森長英、同秋野享三(第一、二回)、同和田五郎(第一、二回)、同佐伯武雄、同鈴木恭二(第一、二回)の各証言および乙第二二号証の二、第二七号証の一の各記載中、みぎの認定に反する部分は、いずれも措信し難い。

(三)  自動承認制の施行

昭和二六年二月における前記の大豆事情に対し、米国政府が物価統制令を施行して大豆の最高販売価格を統制したので、政府はこれ以上の大豆の値上りはないものと判断し、政府買付の構想を棄てて米国大豆の輸入についても自動承認制を施行することとし、同月二二日からこれを実施したことは、前記のとおりである。かくして商社が政府の委任した為替銀行に対し輸入承認の申請を行えば、商社ごとに定められたドル貨金額による輸入限度に達するまでは、輸入承認の申請は自動的に承認されるが、みぎの限度を超えて輸入しようとするときは通商産業大臣の許可を要するとの制限のもとに、ドル貨地域との大豆の民間貿易が再開された。しかし、前記のように、当時わが国においては大豆の供給量が絶対的に不足していた上に、米国が輸出大豆の国際割当を行う計画をたてたとの情報が流れ、その他の国際情勢からも、大豆の輸入は先行き益々困難となると予想されたため、各商社は米国大豆の買付に殺到し、しかも国内商社は国外の情勢を適確に把握する資料をなんら持ち合せていなかつたので、いきおい外商の提供する情報をう呑みに信用するほかなく、ために米国大豆の取引に関しては外商と国内商社との間で完全な売手市場が成立し、大豆の価格はいよいよ高騰し、なおも先高のみとおしがたてられていた。

被告は昭和二六年初頭に同年中における生産操業計画を樹立したが、それによると、同年三月に一六〇〇トン、四月に三〇〇〇トン、五月以降九月までは毎月五〇〇〇トン(九月までの小計二万九六〇〇トン)、年間合計三万八六〇〇トンの原料大豆を消化するものとされていた。そして被告は同年二月中には国内産大豆五〇〇〇トン(四月一〇日到着予定)、原告から買付けた前記合計一万四〇〇〇トン(三月積六〇〇〇トン-四月二五日到着、五月積八〇〇〇トン-七月一〇日到着)のほかに、訴外高島屋飯田株式会社(その後原告と合併)から二、三月積九〇〇〇トン(到着日五月一五日)の買付を済ませていたが、年頭にあつた二千余トンの大豆の在庫も三月頃には殆んどなくなつた反面、当時月間七〇〇〇トンの大豆消化能力を有し、なお終戦後の再建増産工事を遂行中で十分余力を有していたところ、前記自動承認制の施行によつて、年頭に予想されたより以上の大豆の輸入が可能となり、しかも前記のとおり先高および買付因難化の見とおしであつたので、他の油脂メーカーと同様急遽生産計画を拡大すると共に大豆の購入計画を変更し、同年三月六日前記高島屋飯田との間に米国大豆四-六月積(積出港セント・ローレンス)九〇〇〇トン二口(二船)を基本単価CIF一六九ドルで買い受ける契約を結んだ。みぎの契約は、同社社員近藤一雄と被告会社業務部副部長兼企画課長和田五郎との合意により成立したものである。

昭和二六年二月二六日作成された前記甲第七〇号証の記載によれば、被告が内外大豆事情の推移に深い関心を抱き、常に各方面の情報蒐集に努め、また既契約分の履行について懸念していた事実が明らかであるから、被告が同年二月末から三月上旬にかけて、さきにたてた計画に満足して爾後の大豆入手に興味を抱かなかつたという状況では決してなかつたのである。

他方、原告は前二回の取引により被告を大量の大豆の取引先として確保することに一応成功したので、更に米国商社コンチネンタル・グレイン社と緊密な連絡を保ちながら、被告との本格的な取引の段階に入つて利潤を挙げるべく、前記秋野と中学校時代の学友であつた原告会社本社食糧部油脂課長心得(神戸支社在勤)春名和雄が自ら出馬して秋野と折衝した結果、被告会社が毎月一船分宛の大豆の購入を計画し、今度は七、八月積の米国大豆の購入を目論んでいることを知つた。現に被告が後出乙第五号証を発送した昭和二七年一月一〇日には、被告も前年三月五日原告との間に新たな大豆取引について接触があつたことまでは認めている。

原告が被告との前二回の大豆取引によつて損失を蒙つたのは、当初からその覚悟でいたとはいうものの、同業者との激しい競争の中にあつて、既に外商から買付済みの大量の大豆を是非売りつながなければならなず、しかも原告側の担当者が秋野の後輩であるという事情があつたので、被告から買い叩かれたものであることは、否むことができない。国内商社の中にはなおも思惑輸入をするものもあつたが、これ以上損失を受け得ない立場にあつた原告としては、春名に出馬させると共に、貿易の常道である右左の原則に従い、先ず被告から注文を取りつけた後に外国商社と輸入契約をすることが、安全をはかるための要件であつた。

かゝる事態のもとにおいて、原告は前記コンチネンタル・グレイン社との間に同年三月七日米国大豆九〇〇〇英トン(九一四四キロトン)を一キロトン当り単価C&F一六一ドル五〇セントで買い受ける契約を締結した。前記乙第二二号証の一、第二六号証、第二七号証の一、第二八号証の各記載および証人秋野享三(第一、二回)、同和田五郎(第一、二回)、同佐伯武雄、同鈴木恭二(第一、二回)の各証言中、みぎの認定に反する部分は、いずれも措信し難い。

四、自動承認制の受付停止およびその後の経過

1  対米貿易に自動輸入承認制が施行された後は、前記のような大豆ブームと盲目貿易に加えて政府ないし日本銀行当局が輸入承認額を発表しなかつたため、輸入承認額は日ごとに上昇し、いわゆる一-三ブームの最高潮に達した。かくて輸入承認額は一-三月期分の外貨予算額をたちまちのうちに突破すると共に、同期中に政府が予定していた大豆輸入量一五万トンを遥かに超える大量の米国大豆の輸入取引が成約したので、政府はついに同年三月一〇日(土曜日)自動承認制による輸入申請の受付を停止するに至つた。そして集計の結果、総計二六万余トンという、予想外に大量の大豆の輸入が承認されたことが判明したので、政府はドル貨の不当流出を防ぐ意味で大豆の輸入契約をした業者に対し既契約分の解約を勧め、承認済みの輸入契約の解約による輸入保証金の没収を行わないという行政措置を講じた。しかし、みぎ受付停止の後においても大豆の価格は同年三月から四月にかけて内外共に横ばいを続け、実需家も輸入商社も大豆の輸入により利益を挙げ得ると見込んでいたため、政府の勧誘にしたがつて解約されたものは合計約四万トン分にすぎなかつた。大豆の価格が世界的に下降し始めたのは、同年四月から五月にかけて朝鮮事変の和平機運が高まるに至つてからであつた。

昭和二六年中に倒産した大豆輸入商社があつたし、また同年中における国内製油業者の決算の結果は軒並みに赤字であつた。しかし、商社の倒産は思惑による輸入大豆の売りつなぎ先が弱小メーカーであつたり、または売りつなぎの時機を失たしため、外貨手形の決済がつかなかつたことが原因であり、またメーカーの赤字は、五月以後の油脂価格の下落に因るものであつて、自動承認制の施行中はもちろん、同年三月中には、かゝる事態の発生は予想されていなかつたのである。被告が大豆価格の下落を予想して買注文を手控えたということは、少くとも自動承認制の施行中においては、考えられないことである。現に、被告は同年四月に入つてからもなお、前記の変更後の大豆購入計画に基き前記高島屋飯田と米国大豆の買付の交渉を続けていたのであつた。

大豆業界では、一-三ブームにより大量に買付けられた大豆の円滑な取引をはかり、かつ、これを一時に市場に流出させないようにするために、業者の結成する油糧輸出入協議会の内部に同年五月中旬頃金融対策委員会を組織し、政府や日銀に対し既買付大豆について特別の長期融資をするように陳情したが、この運動は結局成功せず、その間に朝鮮事変が停戦となり、六月に入つて米国が大豆の輸出制限および価格統制を解除するに及んで、五月から下降線をたどり出した大豆の国内価格は、更に下降度を強めるに至つたのである。

2  当時大豆の一社当りの輸入承認の限度は二〇〇万ドルであつたところ、原告は前二回の大豆の輸入により既にみぎの限度を超過していたので、同年三月八日付で通商産業省に対し有力会社からの注文に基くことを理由として限度外輸入許可申請手続をなし、直ちに許可された。

前記春名和雄は、原告会社神戸支店に在勤する経理部長から前記コンチネンタル・グレイン社との三月八日付契約に関する信用状開設手続は大阪銀行神戸支店でするように指示を受けたので、みぎの限度外輸入許可書をたずさえて同月九日の夜行で東京から神戸に向い、翌一〇日午後同銀行支店に米国大豆九一四四キロトン単価C&F一六一ドル五〇セントの輸入契約につき輸入承認申請書を提出したが、同日正午限り自動承認制による輸入申請の受付が停止されたので、在京の前記田中利道に指示して通産省に大豆輸入の特別許可を申請させたが、みぎの申請は却下された。

適法な方法では前記の輸入契約に基き信用状開設手続をすることができなくなつた原告は、窮余の策として、他の商社が得た大豆の輸入承認書を原告のため流用することを企図し、先ず訴外明光商事株式会社に対し、同社が三月三日承認を得た東京銀行扱いの大豆七〇〇〇トンの輸入承認書を原告の計算により使用することを申し入れ、その承諾を得て、同月三一日同社に対しみぎの輸入承認書に基く輸入については原告が一切の責任を負い、同訴外会社はなんらの負担をも負わない旨の覚書を交付した上、同社名義で東京銀行に対しみぎの輸入承認書に基く米国大豆七〇〇〇キロトン総額一一三万四〇〇〇ドルの輸入に関する信用状の開設を申し込み、同銀行本店は同年四月三日みぎの申込に基き信用状を開設した。

原告は更に訴外都商事株式会社に対し同社が三月七日承認を得た東京銀行新橋支店扱いの大豆一五二万ドルの輸入承認書を訴外極東物産株式会社と共同して使用することを申し入れ、みぎ両者の同意を得て、同年四月一九日みぎの輸入承認書に基く輸入については原告が五二万八〇〇〇ドル、極東物産が九九万二〇〇〇ドルの限度で各責任を負い、都商事はなんらの負担をも負わない旨の念書を同社に差し入れた上、同月二一日東京銀行に対し形式上都商事の勘定においてみぎの輸入承認書に基く米国大豆約三二〇〇キロトン総額五二万八〇〇〇ドルを輸入するための信用状の開設を申し込んだ。

原告はみぎの申込書に国内売込先を被告と記入して東京銀行丸の内支店に提出したので、同支店輸入課長宮下健二は、被告との売買契約を確認すべく被告会社企画課に電話で照会したところ、みぎの大豆は被告会社の昭和二六年度生産計画に編入されているので買い受けたことは相違なく、単価も照会のとおりである旨の返答を得た。その結果、同年五月一日みぎの申込に基き東京銀行の米国マニユフアクチユラーズ・トラスト社に対する信用状が開設された。

みぎのように自動輸入承認制のもとにおいて他社が獲得した輸入承認書を流用することは、外国為替管理法上明らかに違法である。しかし、貿易業者が、国内取引先との売買契約に基く輸入の手段として、かゝる違法な方法を採つた場合であつても、その故に国内取引の契約の効力に消長を来たすものではなく、国内契約の相手方としては、輸入業者がみぎの方法を用いたことによりなんらの不利益を受けない以上、契約が履行される限りにおいては、みぎの違法を理由として契約の効力を否定することはできないと解すべきである。

また、前記の輸入承認申請、限度外許可申請および信用状開設申込に当り、原告が被告の買約書を添付しなかつたことは被告の指摘するとおりであるが、当時かかる書類の添付は法規上はもちろん、実務上も必らずしも要求されておらず、申請者は輸入承認ないし限度外輸入許可の申請に当つてはその理由を明らかにすれば足りたのであり、また信用状開設銀行は依頼者が確実に手形を決済し得るか否かを確認する必要上、何らかの方法で依頼者の支払能力ないし売りつなぎ先の有無について調査すれば足りたものである。

なお、原告が前記の信用状開設に至る諸経過を被告に報告し、その承認ないし激励を受けていたことについては、かゝる事実の存在を認め難いが、さりとて被告が原告に対し信用状開設の可能性を打診し、信用状の開設手続を催促し、または、さかのぼつて逆に輸入承認申請の受付停止を理由としてなんらかの申出を行つた事実も、これを認める証拠がない。

3  原告会社の前記山口春二は、同年五月二日被告会社事務所に赴き、秋野に対し、つぎの五通の書類を手渡した。

(イ)  原告会社東京支社油脂課作成名義の、つぎの記載内容を有する「米国大豆見積書」と題する印字書面二通。

A 船積地  ニユーオルレアンス港又は米国カナダの一港

B 出航予定 昭和二六年七月又は八月

C 受渡条件 CIF工場河岸着渡

D 支払条件 本船到着日時起算六〇日手形払

E 採算見積

(一) CIF (後記のように保険料を別個に算定してあるので、C&Fの誤記と認める)単価一六一ドル五〇セント、一ドル三六一円五五銭換算、基準円単価五万八三九〇円三三銭

(二) 保険 EPA二〇銭、戦時保険七銭五厘。保険料の合計単価は基準単価の一一〇パーセントの〇・〇〇二七五倍すなわち一七六円六三銭

CIF価格 五万八五六六円九六銭

(三) 銀行諸掛

信用状開設料 〇・二五パーセント

保証金    〇・〇三六パーセント

為替予約料・ユーザンス金利 合計 二・七三三四パーセント

小計     三・〇一九四パーセント

一七六三円〇四銭

(四) 欠減 一パーセント五八五円六七銭

(五) はしけ取り諸掛り

看貫のみ原告負担(一割試貫)

三四五円〇〇銭

(六) 手数料 〇・六パーセント三五一円四〇銭

合計 一トン当り 六万一六一一円六九銭

(ロ)  つぎの記載内容を有する売買契約書正副各一通(いずれも、収入印紙を貼つて消印を施し、売主として原告会社東京支社の記名押印があり、買主名が空欄のもの)および写一通(収入印紙を貼らず、売主として原告会社東京支社名を記載し、買主名の記載のないもの)。

契約番号 第東一〇三号

品名   北米産大豆標準二等品黄色

数量   九〇〇〇英トン(但し一〇パーセント増減許容)

単価   六万一六一一円六九銭

包装   ばら

船積期限 昭和二六年八月三一日限

受渡場所 被告工場岸壁渡し(麻袋代金は含まず、看貫のみ原告負担、一割試貫)

代金支払 本船入港日起算六〇日払手形

摘要 1 買主が期日迄に契約品を引取らないときは、売主は契約を取消すことができる。これによつて生じた損害は全部買主が負担する。

2 売主は、直接間接の不可抗力により契約品の全部又は一部の引渡が不能となり又は遅延したことによる責任を負担しない。

〈以下省略〉

山口は、みぎの書類を秋野に渡す際になんら説明を加えなかつたが、秋野はこれらの書類を見てもなんらの不審を起さず、なんらの質問もせずに、これを受領した。みぎの契約書は前記の前二回の既契約分の契約書と書式を同じくし、その体裁および記載内容から見るときは、明らかに既成の契約の確認のために被告会社の署名押印を求めたものであつて、原告の被告に対する新規の売申込ないしは引合とは認められないものであるにもかゝわらず、被告は原告がこれらの書類を提出したことに対しなんらの異議をも述べず、また、これらの書類を原告に返却することもなかつた。

なお以上の経過は明らかに第一、二回取引における契約前の引合又は見積書の提出(被告主張のような)の経過および形式とは異るものであるところ、かゝる差異についての証人秋野享三、同和田五郎の各証言には納得できないものがあることは、見逃すことができない。

4  原告会社としては、前二回の取引においても、被告が契約書に署名押印を求められてからこれを完了するまでに相当な日数を要したので、今回も被告会社が前記の契約書に直ちに署名押印をして一通を返還しないことに対して、当初は疑問を懐かなかつた。同年五月下旬頃になつて始めて、山口が秋野に対して催促したところ、同人は暫時の猶予を求めたので、更に和田にも調印を催促したところ、同人は、契約のことは秋野が扱つているから同人に交渉するようにと返答した。そこで原告会社は以後契約書の調印を求めるべく被告会社と交渉を重ね、ときには春名、山口の両名が秋野の自宅を訪問するなどのこともあつたが、秋野は、「このまゝの大豆の値下りの時期に直ぐ社印を押せと言われても、どうにもならない。もう少し待つてくれ。いくらかでも市況がよくなれば何とかなるだろう」「社内の一部を説得するまで、少し待つてくれ」「自分の立場も非常につらい。何とかするように努力しているのだが」「必らず引取るようにするから、騒がずに待つていてくれ」「今のところ時機が悪いから、上司に了解をつけるまで、もうしばらく待つてくれ」等と答え、原告との第三回取引については被告会社企画課の内部で会社幹部の承諾を得ず勝手に取りきめたものであるか、或いは幹部の了解のもとに取りきめたが、幹部が大豆相場の下落のため契約書の調印を渋るに至つたものであるか、いずれにせよ、被告会社役員と原告との板ばさみになつて苦境に立つていることを訴えるに至つた。

5  他方、国内油糧貿易業者の組織する油糧輸出入協議会が金融対策委員会を組織して日本銀行に長期融資の交渉をしたことは前記のとおりであるところ、同協議会は同年六月二五日各為替銀行に対して商社の油糧の取引に対する融資状況を照会した結果、同日付で商社の手持油糧一覧表を作成し、各月ごとに、商社の思惑買い、売買契約の解除解約または買受人の受取拒否の結果商社が手持ちを余儀なくされた大豆の数量および金額を表示したが、更に同年七月一三日付で日銀融資斡旋部の依頼により全会員に対し大豆を含む一一品目の商品の金融状況の報告を求め、その報告書の記入要領として、売買契約が解除解約されたもの、売買契約は存在するが買主が買受物品の取引を拒否したために手持を余儀なくされたもの、および将来拒否されるおそれの濃厚なものを、まとめて手持商品として報告するように依頼した。同協議会は七月五日の臨時総会において、前記の二一万余トンの輸入大豆を供給過多におちいらぬように長期間にわたつて処分して市価の維持をはかるために、必要な金融対策を講ずることとし、そのために前記の「手持大豆」を保有する商社によつて大豆対策委員会を組織して運動を開始した。同委員会は、市価安定のためには先ず思惑輸入にかゝる大豆および国内の売買契約が解除解約され又はその恐れのあるため近い将来大豆市場に大量に売りに出るおそれのある大豆のほか、売りさばき先が弱小業者であるために売買代金の回収が不確実であるものについて、商社をして一応為替決済をさせた上これを当分の間商社が手もとに留めておくことが必要であると判断し、その金融対策を樹立するための資料として、原告を含む関係各商社に対し輸入大豆につき手形決済の月別に商社手持のもの、将来引取の不確実なもの(約定不確実)および引取確実なもの(約定確実)に分類して無記名で報告することを求めた。仮に国内売買契約を結びながら後日買主から契約の成立を否認され、または買主から大豆の引取に難色を示された商社があるとすれば、かゝる商社は当然契約を解除して他に売りさばくか、または相手方が確実に引取るまで手もとに在庫させなければならない関係上、みぎの調査の趣旨上前二回の調査におけると同様に、手持分または約定不確実分としてこれを報告すべきものであつた。ところで、同委員会が七月一八日集計した報告の結果によれば、同年一一月(現実に前記明光商事名義および都商事名義のために発行された信用状に関するユーザンス手形の満期は一一月二四日であつた)中に手形の決済をすべき輸入大豆について約定確実のものは全然なく、約定不確実のものが一万二二一一トン、手持のものが二万八六〇〇トンとなつているので、原告は前記の各信用状記載の輸入大豆を約定不確実または手持分として報告したものと一応推定することが可能である。しかし、原告がみぎに報告した大豆輸入量の総量は三杯半(貨物船一雙の積載貨物量-九五〇〇英トンが標準とされる-を業界では一杯と呼称している)又は四杯であるところ、原告のみぎ報告中約定確実分として報告されたものが七月分九七六九トン、八月分約一万二〇〇〇トン、九月分三〇〇〇トン、一〇月分約七〇〇〇トン、翌年二月分九〇〇〇トン、合計約四万〇七六九トンに及び、約定確実分のみでゆうに三杯半ないし四杯分はあるので、原告が約定不確実または手持分として報告した大豆の量は比較的小量のものにすぎなかつたものというべく、したがつて原告は前記各信用状に基く輸入大豆分を八月分の一部として報告した(当初信用状開設銀行に差入れた外貨表示の一覧払手形の決済の月として)か、または九月分(都商事分)および一〇月分(明光商事分)に分割して報告したものと推定するのが相当である。けだし、一件の輸入手続においては輸入業者の発行する手形は数通あり、その間に輸入業者から買い受ける者の発行する手形も介在する上に、原告は前記の非常手段を採用したために手形決済の関係は更に複雑化しているので、原告がいずれの手形の決済日を基準として報告するかに迷つたことも推察しうるからである。現に原告は七月中に船荷証券を受領したので直ちにユーザンス手形を振出すべきであつた筈のところ、八月二八日に一一月二四日を満期とする九〇日間のユーザンス手形を振出したのであつた。

6  原告会社の春名らは、秋野との交渉では解決を得なかつたので上司である食糧部長岡野文夫に対し、秋野が契約の成立を否定するような言辞を洩らしている旨を報告した。そこで岡野は、東京支社輸入部長檜山広および春名と共に七月中旬頃秋野に来訪を求めて問いたゞしたところ、秋野は、原告に対する第三回目の取引の買申込をしたことは事実相違ないと返答したので、岡野および春名は同月一八日被告会社の和田および秋野と銀座二丁目のレストラン「ニユー銀座」において会談し、相互に事態を収拾するために結着をつけるよう話し合つた結果、和田らとしては大豆の値下がりのために契約書に被告会社役員から調印を得ることができないが(被告が前掲乙第五号証を発送した昭和二七年一月一〇日頃までは、被告会社においても原告会社からこの当時契約書に調印ありたい旨の申出があつたことは認めている。)、岡野らとしては、船積が終つた頃でもあり(原告とコンチネンタル・グレイン社との契約大豆は七月一六日ニユーオルリンズ港においてワンダラー号に船積を了していた)、銀行から船荷証券を受領する時期が目前にせまつているので、その際銀行に提示する必要があり、また上司に対して春名らの立場を弁明する必要もある関係上、さし当つて被告から原告に対し契約書に代るべき内容を記載した覚書を交付することとし、なお、被告が価格の点で原告の輸入大豆を引取り難いことを考慮し、更に話し合いの上売買価格を引き下げ得べきことを相互に確認して折合いがつき、和田らは次週中に覚書を作成することを約した。みぎの会談において、和田らは原告が前記の契約書類を提出したことに対してなんらの異議をも述べることなく、みぎの了解に達したのであつた。この点に関する証人和田五郎の証言は、それ自体としては否定的であるが、当日原告会社の申出を峻拒しなかつた状況を物語るものとして注目に値するものがあり、また、当日の諒解事項が乙第一号証に記載された程度のものであつたとすれば、同証人らのいうような原告会社の援助の役に立たないことも考慮すべきであろう。

7  そこで春名は秋野に対し、翌一九日付でつぎのとおりの記載内容の私信を送つた。

「懸案の問題の解決が来週に持ち越されたのと、又々神戸にトラブル発生とかで一日でもよいから帰れとのことで、今夜から一両日神戸へ帰ります。

先日打合せた通り覚書作成願えると思いますが別紙の如き文言になる様頼みます。

尚本日豊年(製油)杉山社長より幸物産西川を通じ輸入業者に対して次の如き申出があり、何れ今度は豊年二社の事のみ考えてはおらず、各社とも協調するものとは思われますが、御参考までに通知します。原則的なことで、細部については明朝数社の代表が杉山氏と会う筈。結果は明午後山口君(春二)に聞かれたい。

(一)  輸入業者とメーカーとの手持を吸い上げる様なシンジケートを作る。

(二)  仕切値のロスに対しては両者手持数量で按分すること。このロスのカバーに公用黒字三〇億を活用する様杉山氏が一肌ぬぐ。

この為日華(油脂)中井社長の上京を促している由。」

みぎの私信中最も重要な意味を有する「別紙」は、被告が本訴においてこれを提出しないので、その内容が不明であるが、その趣旨は前記の会談の結果に基き原被告間の第三次契約の内容を確認したものであつたと認め得る。

なお、みぎの私信の後段の記載は、被告が契約を履行して大豆を引取つても損失が大きくはならないことを示す趣旨のものと解される(仮に原被告間に売買契約が締結されていないならば、このような情報の提供は全く不要であるのみならず、かえつて原告の売込み条件を不利にするものである)。しかし、シンジケート結成の運動は、その後結局成功しなかつた。

8  被告会社においては、前記の会談後和田、秋野の両名が常務取締役鈴木恭二、業務部長佐伯武雄らと打合せた結果、佐伯部長は覚書の提出に反対したが、鈴木取締役の発意により、会談における了解事項および春名の私信の文案と相違して、原被告間の契約の未成立を前提とし、「原告がコンチネンタル・グレイン社から購入した輸入許可番号IL(一-一)-J(一)-〇〇八九七およびIL(一-一)-J-(八)-〇〇〇六二の米国産大豆(基準数量九〇〇〇トン七/八月積)については、原被告間で数量、価格および支払条件を協議し協議がととのい次第被告が買い受けるものとする」との趣旨の、同年七月二五付日覚書(乙第一号証、甲第一四号証の一)を作成して原告会社に交付した。

原告会社は、前記のとおり急を要する事情があつたので、被告会社が当然前記春名の私信の別紙文案と同趣旨の覚書を作成交付することを予測し、みぎの文案の内容を更に具体化して荷揚げ、保管および倉入の方法、引渡数量(積来全量九九〇〇キロトン)、価格(C&F輸入価格一六一ドル五〇セントを基準とする)および支払条件の具体案を記載した「味の素株式会社向ワンダラー号積大豆処理要領」と題する書面(甲第二四号証の二、乙第二号証)を用意していたが、被告から受領した覚書が案に相違して原告会社の役に立たないものであつた(もつとも、原告はすでに同月二三日送り状、船荷証券、重量証明書その他の書類を為替銀行から受領ずみであつた)ので、みぎの「処理要領」に基いて交渉を進めるべく、同月三〇日これを被告側に提示した上、八月に入つてから岡野が被告会社事務所に出向いて交渉したところ、被告側では鈴木取締役以下関係者全員が第三次契約の成立を全面的に否認するに至つた。

9  前掲各証拠中乙第一九号証の一、第二二号証の一、二、第二六号証、第二七号証の一、二、第二八号証、第二九号証、第三〇号証、第三一号証の一、第三四号証の一および成立に争いのない乙第五号証(回答書)の各記載ならびに証人春名和雄(第一、二回)、同田中利道(第一、二回)、同岡野文夫(第一、二回)、同山口春二、同西川嘉一(第一、二回)、同福井孝雄、同香川卓一、同越智度男、同秋野享三(第一、二回)、同和田五郎(第一、二回)、同鈴木恭二(第一、二回)、同佐伯武雄の各証言中、以上の認定に反する部分はいずれも措信し難い。

四、以上認定した諸事実を彼此合せ考えると、原告会社春名和雄と被告会社秋野享三との間に昭和二六年三月上旬頃米国大豆九〇〇〇英トンを一キロトン当り基準単価C&F一六一ドル五〇セントで売買する契約が締結されたものと認めることができる。したがつて、証人春名和雄の証言(第一、二、三回-後記措信し難い部分を除く-)するとおり、同人は昭和二六年三月五日頃秋野の依頼でコンチネンタル・グレイン社に対し七、八月積大豆の売申込を発するよう申し入れたが、同社はこれを拒否し、逆に春名に対し買注文を出すように要求したので、春名はその旨を秋野に連絡した結果、秋野は同月六日被告会社事務所において春名に対し七、八月積C&F一六一ドル五〇セント九〇〇〇英トンの二四時間取消不能の期限附買申込(業界で使用する「フアーム・ビツト」の語が期限附取消不能申込の意味を有することは、前記甲第六六号証の一の記載によつて認め得る)をした事実および春名はみぎの買申込に基き更にコンチネンタル・グレイン社に対し同一条件で買申込をしたところ、同社は翌七日これを受諾したので、春名は即日秋野に対し承諾の旨を返答したと認めるべきであつて、同証人の証言(第一回)、前記乙第二七号証の一および成立に争いのない乙第五号証(回答書)の各記載ならびに証人秋野享三(第一、二回)、同和田五郎(第一回)、同佐伯武雄、同鈴木恭二(第一回)の各証言中みぎの認定に反する部分は、いずれも措信し難いところと言わざるを得ない。

(一)  契約大豆の量が英トン単位で取りきめられたか、またはキロトンが単位として用いられたかについて、証人春名和雄は第一回証言において動揺し、両様の証言をしているが、同人が動揺したのは甲第二五号証の一(船積案内控)、二(荷捌案内控)および前記乙第二号証にはキロトン単位で記載されていることを被告訴訟代理人から指摘された結果であると認められ、証人島崎竜雄の証言によれば、外国船の積荷量は九五〇〇英トンが標準とされ、船舶のトン数を表示する際には普通英トンが用いられ、我が国においても数量は英トン単位で価格はキロトン単位でそれぞれ取りきめる商社もある事実を認めることができ、更に証人春名和雄の第二回証言によれば、当時は売手市場であつたので米国商社に都合のよいように本件契約は特に英トン単位で取りきめられたものであり、前記の被告代理人の指摘した各証書がキロトン単位で記載されたのは、前記の「ニユー銀座」における会談の後少しでも被告に引き取つて貰いやすいようにしようと原告側が顧慮した結果である事実を認め得るので、前記春名証言の動揺は前記の認定を左右すべきものではない。もつとも、前記乙第四号証の一にはキロトンと認めるべき表示があるが、前記の各証拠と対比するときは、同号証のみぎの記載は原告側の失態と認めるほかない。

(二)  また、証人春名和雄は第一回の証言において秋野から受けた申込の取消不許期間は翌日ひる迄であつた旨証言し、第二回証言においてはみぎの期間は三月七日午後二時か三時頃であつた旨証言するが、みぎひるとは通常は必らずしも正午を意味せず、その前後の数時間を広く指称するのが一般であるから、みぎの各証言内容は互いにくい違うものとは認められない。

(三)  証人春名和雄は更に第一回証言に際して本件契約における大豆の積月を八月と証言しているが、同証人の第二回証言によれば、みぎは同人の記憶違いによるものと認め得る。

(四)  原本の存在および成立に争いのない乙第三四号証の一(証人渡辺文蔵証言調書)およびみぎの記載により被告会社業務部から経理部に送致された大豆買付報告書であると認め得る同号証の二の各記載によれば、被告会社においては業務部が大豆の買付をすると必らず経理部にその報告書を提出するものであるところ、本件契約については三月八日付の報告書にはその記載がなく、その他にも被告を受けたことがない事実を認め得るが、三月八日付の買付報告書に記載された買付は証人鈴木恭二の証言によればいずれも本件契約以前に締結された契約によるものであつて、しかも被告会社に備え付けの署名簿(証人鈴木恭二-第一回-の証言により成立を認め得る乙第一八号証の一、二)に登載ずみのもののみである事実を認め得るから、三月六日に成約した買付が同月八日付のみぎの報告書に記載されていないことは本件契約の成立を認定する妨げとはならない。

(五)  前記乙第三三号証の記載によれば、被告が大量の買付を行うときは必らず取引銀行である三菱銀行に資金ぐりの相談をしていたが、昭和二六年三月上旬に被告から同銀行に対してかかる相談をしたことがない事実を認め得る。しかし、被告が現実に資金を要するのは契約の目的物が到着した後手形を決済する時であり、しかも前記認定のとおり被告は生産の飛躍的拡大を計画していた際であつたから、被告が前記の時期に取引銀行に対して融資の相談をしなかつたという事実は、いまだもつて本件契約の成立を否定する根拠とはなし得ない。前記乙第二八号証の記載中みぎの認定に反する部分は措信し難い。

(六)  前記乙第二、号証、第三〇号証および第三一号証の一の各記載によれば、東和交易、東洋棉花、伊藤忠等の国内商社は昭和二六年二月から三月にかけて被告に大豆を売り込もうとしたが、いずれも被告が引合に応ぜず失敗に帰した事実を認め得る。しかし、取引は双方の信用と売買の条件とによつて結ばれるものであるから、みぎの事実の故をもつて本件契約の成立を否定し去ることはできない。

(七)  なお、原告は、本件契約は信用状の開設を条件として発効する旨の特約が存すると主張するが、かゝる特約の存在を認めるに足りる証拠は存しない。しかしながら、およそ国内の商社が海外の物資を輸入した上これを売り渡す旨の国内契約を締結したときは、信用状の開設手続は当該商社が当然なすべき契約履行行為の一部であつて、信用状が開設されないときは当該商社の契約不履行の問題が生じこそすれ、契約が失効するものではないと解すべきであるから、みぎの原告主張事実の存在が認められないことは、なんら本件契約の効力を左右するものではない。

五、諸掛りの取りきめについて。

(一)  前記甲第六六号証の一、二、第六八号証の各記載と証人春名和雄(第一、二回)、同片桐英雄、同岩間造酒之介、同太田静男、同島崎竜雄、同檜山広(第二回)、同山口春二、同高橋睿、同大平房次の各証言を総合すると、国内の商社が国内取引として海外の物資を輸入して売渡す契約をするについては、外商とのCIFまたはC&F契約における引渡場所(本船到着港沖)で引渡す例は少なく、多くは買手倉庫倉入れ渡しとし、その費用をも含めて最終的な売買価格の取りきめが行われるが、具体的な取引においては、倉入れまでの諸費用を加えた最終引渡価格によつて売買の申込承諾が行われる場合もあれば、先ず外貨表示の日本港沖引渡価格を基準価格として基本となる売買契約を結んだ後、附随的契約としてその後倉入までの諸費用および外貨決済のため金利、費用等につき取りきめを行い、最終円価格を決定する方法も行われ、特に買付の委託を受けたときには後者の方法によるのであつて、いずれの場合においても、同一当事者間において同種の取引が反覆して行われるときは、他の条件は前回どおりとして基本的な外貨表示の基準価格と品目、数量、積月についての合意のみによつて売買契約が成立する慣習の存する事実を認めることができる。証人鈴木恭二(第二回)は、外貨表示の単価の取りきめのみでは契約は成立しない旨を証言しながら、同時に、被告会社が使用する大豆の取消不許期間付買申込の書面は、数量、単価、積月、若干の附加条件および申込の有効期間のみを書き込むようになつており、相手方が期間内に承諾をすれば契約は一応成立する旨を証言するので、結局みぎの証言はみぎの認定と矛盾するものではない。

(二)  前記乙第一〇、一一号証の各記載および証人田中利道(第一、二回)、同山口春二の各証言によれば、原被告間の前記第一、二回の大豆取引においては、価格についてはいずれも先ずC&F横浜港渡しのドル貨表示の基準単価につき合意が成立し、その後原被告間で円価換算率、保険料、信用状開設料、信用状開設申請保証金、為替予約料、ユーザンス金利、欠減、本船はしけ取り、工場河岸回漕、水切、袋詰、看貫、庫入等の諸費用および手数料等について取りきめを行つて円価表示の最終単価を決定したが、みぎの諸掛りの取りきめは、先ず前記九〇〇〇トン(後に八〇〇〇トンに訂正)の分について、手数料を一パーセントとして成立し、次いで前記六〇〇〇トンの分について手数料を〇・六パーセントに減じて成立した事実を認めることができ、みぎ各証人の証言および証人秋野享三(第一回)、同和田五郎(第一回)、同鈴木恭二(第二回)の各証言中みぎの認定に反する部分は措信し難い。みぎの事実によれば、原被告間の大豆の取引は売買とは称するが、価格取りきめの形式はむしろ米国大豆の買付から庫入までの委託契約に近いものであつた(もちろん、前記認定のとおり第一、二回取引は原告が輸入ずみのものを被告に売りつないだものであり、また輸入から庫入まで一切原告の責任と計算において行う点が、買付委託とは異るが)と認めることができ、また、米国大豆の輸入を前提とする以上、原告と外商との間の価格取りきめ方法であるC&F価を基準として原被告間の売買の基本価格を合意することは、少しも不自然ではない。

これらの点を合せ考えると、原被告間においては、原告が庫入までの手続を行うこと、およびそのための諸費用の決定の基準については、第一、二回取引によつて既に相互に了解ずみであつたのであり、第三回目である本件取引においては、ドル価表示のC&F価格についてさえ合意が成立すれば、価格の決定方法としては十分であつたと認めるべきである。ただ、口銭は前記九〇〇〇トンの取引においては一パーセントであり、前記六〇〇〇トンの取引においては〇・六パーセントであつたから、本件契約においても〇・六パーセントないし一パーセントの間で取りきめるという合意があつたと認め得る。この点に関して証人田中利道(第一、二回)は、第二回取引のとき手数料を〇・六パーセントに減らすこととした際、秋野から今後の分も手数料は〇・六パーセントにすると念を押し、本件契約の際には他の条件は前回の例によるとの合意ができた旨を証言するが、みぎの証言中「前回」が前記認定の六〇〇〇トンの分(諸掛りの取りきめは後に成立した)を意味するものである限り、みぎの証言は措信し得べきものであり、これに反する証人春名和雄(第一回)の証言部分は措信し難い。

(三)  更に、前記甲第三号証の一、甲第四号証の各記載および証人田中利道(第一回)の証言によれば、品名、数量、価格、船積期限以外の条件(数量一〇パーセント増減許容、包装ばら、受渡の場所および方法被告会社横浜工場水切袋詰看貫庫入渡、包装代被告負担、代金支払方法本船到着日起算六〇日手形払、および前記認定の特約条項)はすべて前二回とも同一であり、特に特約条項が「摘要」として印刷してある原告使用の売買契約書用紙を用いて契約書が作成された事実、前二回の取引においてはみぎの用紙を使用することについて被告側から異議がなかつた事実、および本件契約に際しては前記認定の基本契約事項以外の条件はすべて前回の例による旨の合意があつた事実を認め得るから、本件契約においても、これらの契約条項はすべて前記認定の前二回の契約どおりに合意されたものと認めることができる。

(四)  以上の諸点を総合すると、前記乙第六号証の一(前記三、3、(ロ)に摘記した売買契約書正本)および同号証四(同三、3、(イ)に摘記した米国大豆見積書)の各記載は、いずれも原被告間の合意の内容を記載したものであつて、原告の一方的な希望条項を記載したものではないと認めるべきである。

六、代理権について。

(一)  証人岡野文夫(第一回)の証言によれば、原告会社は本件契約の締結権限を前記春名和雄に一任していた事実を認めることができ、みぎの認定を左右するに足りる証拠はない。

(二)  証人春名和雄(第一回)および同田中利道(第一回)の証言によれば、原被告間の前記三回の取引について被告側では常に前記秋野享三が基本契約についても前記のその他の諸条項の取りきめについても原告側係員との折衝に当つていた事実を認めることができ、また同人が前記前二回の契約につき被告会社業務部企画課員として原告との最終的合意を成立させるべき意思表示をしたことは前記認定のとおりである。これらの事実によれば、みぎ秋野が本件契約の締結についても代理権を有していたことが明らかであり、証人秋野享三の証言中同人が契約締結の代理権を有しなかつた旨の証言部分は措信し難い。

(三)  前記乙第一九号証の一の記載および証人西川嘉一の証言によれば、幸物産株式会社は金額一〇〇〇万円以上の取引については社長が自ら相手会社の役員と契約をした事実を認め得るが、反面成立に争いのない甲第六八号証(証人杉山金太郎証言速記録)の記載によれば豊年製油株式会社は原料課長に契約締結権限を与えた事実を認めることができ、証人香川卓一の証言によれば大平洋油脂株式会社は担当課員に契約締結の代理権を与えていた事実を認めることができ、証人伊藤廉三の証言によれば大東紡織株式会社も羊毛の委託買付について担当課員に契約締結の権限を与えている事実を認めることができ、証人松本季三志の証言によれば旧三井物産株式会社も担当課員に一定の契約締結権限を与えていた事実を認め得るので、証人太田静男の証言するとおり、如何なる地位にある者が契約締結を担当するかは各会社によつて区々であると認められる。したがつて、一般に大量多額の取引において単なる一課員に契約締結の権限が与えられることはないという命題は成立しないし、かゝる慣行の存在も認められない。

(四)  前記乙第二七号証の一、乙第二八号証の各記載および証人秋野享三(第一回)、同和田五郎(第一回)、同佐伯武雄の各証言によれば、被告会社においては大豆の大量取引に際しては社長道面豊信の決済を経てから常務取締役鈴木恭二または取締役業務部長佐伯武雄が買付の決定をするというのであるが、会社の内部における意思決定と外部に対する意思表示とは別個の問題であり、売買契約締結の代理権限を有する者が売買の申込をした以上、その意思表示は有効というべきである。のみならず、前記認定のとおり秋野享三は従前原告との取引に当つて単独で折衝成約をしていたのであるから、同人がこれらの取引を独断で行つたとは認められず、本件契約についても特に前記認定のとおり被告会社が大豆の消化計画を変更拡大した事実も存する以上、同人は本件契約に当つても当然上司、特に業務部長の指示ないし承認を得ていたものと推認し得るところである。前記乙第二六号証の記載および証人佐伯武雄の証言中、前記佐伯武雄が企画課長和田五郎に対し本件契約成立前既に買付停止を指示した旨の部分は、措信し難い。

七、契約の解除について。

本件売買契約には「被告が期日迄に契約品を引取らないときは、原告は契約を取消すことができる。これによつて生じた損害は全部被告が負担する」旨の特約の存する事実は、前記認定のとおりである。みぎの特約条項の文言は原告の解除権について規定すると共に、被告の契約不履行によつて現実に原告が蒙るべき損害につき被告の賠償義務を定めたものであつて、被告の履行に代る損害賠償を規定したものではないと解せられる。

ところで、証人春名和雄(第一回)は、前記昭和二六年七月中における被告側との交渉の際に、「最悪の場合には契約を解除して原告が輸入大豆を処分し、その結果の損害は賠償して貰う」旨を常々話の間に相手方に告げたと証言するが、前記認定のとおり、当時春名としては被告から契約の確認を得ることに腐心しており、被告から契約確認の内容を有する覚書の交付を受ける見込がついて安心していた際であり、覚書を受領する迄は契約の成立を前提として話合が進められていたのであるから、条件附契約解除という強硬な態度を採る必要がなかつたし、またその意思表示をなすべき事態でもなく、せいぜい将来の最悪の事態の予想を述べる程度であつたと言うべきであり、契約解除の確定的な意思表示は、前記の予想外の覚書を受領した後に始めてなし得たものと認め得るところ、覚書に対する前記の処理要領は山口が被告会社に持参したものであり、覚書受領後春名が被告側と折衝をした証拠はないから、春名自身がその証言するような条件附契約解除の意思表示をなし得る機会はなかつたと言わざるを得ない。したがつて、同証人の前記証言部分は措信し難い。

同証人の証言(第一回)中、原告が被告に対し昭和二六年九月か一〇月頃本件契約を解除する旨の意思表示をした旨の供述部分も、他にみぎの事実を確認し得べき証拠がないので措信し難く、他に原告が被告に対し同年七月ないし一一月の間に契約解除の意思表示をした事実を認め得る証拠は存しない。

しかし、前記乙第四号証の一および成立に争いのない同号証の二(内容証明郵便)の各記載ならびにみぎ各書証を被告が提出した事実によれば、原告は被告に対し同年一二月二八日付および翌二九日付各内容証明郵便をもつて、被告の契約大豆の引取拒絶を理由として、前記解除および損害賠償条項の特約(みぎ二八日付書面の記載中「摘要第四号により」の記載は、みぎ二九日付書面により「摘要第一号により」と訂正された)に基き、被告が引取を拒絶した大豆を原告において売却処分した事実を通知すると共に、みぎ売却処分の結果原告の蒙つた損害額を通知して差当りその半額の賠償を申し入れ、みぎ各書面はいずれもその頃被告に到達した事実を認めることができ、みぎの事実によれば、原告はその頃被告に対し前記特約に基き本件契約を解除する意思表示をしたものということができる。

被告は原告が契約の本旨に基く履行の提供をしなかつたことを云為するけれども、前記認定のとおり被告は覚書の交付以後本件契約の成立そのものを否認し、もつて本件契約の目的物の受領を明確に拒絶したのであるから、原告がその後被告に対し受領の催告も履行の提供もしなかつたとしても、前記特約に基く解除権を行使するにつきなんら支障となるものではなく、また契約解除の意思表示が解除原因たる事実の発生後約五箇月後になされたことも、その間被告が原告に対し契約の履行を求めた事実の存しない以上、原告の解除権行使の障碍となるものではない。

八、以上認定したところにより、原告の主張のうち契約成立に関する部分およびその解除に関する部分はいずれも理由がある。そして、みぎは中間の争いであつて裁判をするに熟したものである。よつて、主文のとおり中間判決をする。

(裁判官 近藤完爾 入山実 大和勇美)

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